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    8月16日の備忘録

    8月16日

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    黒幕は満州利権グループ、ハマコーは捨石
    http://shadow-city.blogzine.jp/net/2010/08/post_0c4e.html

    暴力社会の兆候
    http://darknessofasia.blogspot.com/2010/08/blog-post_9089.html



    日本人の若者は超大損する (Unknown)
    2010-08-15 16:39:15
    >>日本の富の外国への流出が止まりません。
    若い世代は、いくら働いても、派遣の給料では、結婚もできない

    税金・年金・・・生涯収支試算。
    http://up.mugitya.com/img/Lv.1_up123485.jpg

    20歳未満 8000万円の払い損!
    60歳以上 4000万円のもらい得!

    現行制度が続くと仮定すると、現在20歳未満の人の生涯収支は8千万円超の「支払い超過」で、 60歳以上は生涯で4千万円の「受け取り超過」になる。 20歳未満と、60歳以上、両者の格差は1億2300万円に達する。 この支払い格差はさらに悪化する可能性もある。
    ~8月6日日経新聞



    Unknown (Unknown)
    2010-08-16 05:42:50
    マハティール首相

    「東アジア諸国でも立派にやっていけることを証明したのは日本である。

    そして他の東アジア諸国はあえて挑戦し、

    自分たちも他の世界各国も驚くような成功をとげた。

    東アジア人は、もはや劣等感にさいなまれることはなくなった。
    いまや日本の、そして自分たちの力を信じているし、

    実際にそれを証明してみせた。


    もし日本なかりせば、世界は全く違う様相を呈していただろう。

    富める北側はますます富み、

    貧しい南側はますます貧しくなっていたと言っても過言ではない。

    北側のヨーロッパは、永遠に世界を支配したことだろう。

    マレーシアのような国は、ゴムを育て、スズを掘り、

    それを富める工業国の顧客の言い値で売り続けていただろう」



    Unknown (Unknown)
    2010-08-16 05:49:09
    「我々インドネシア人はオランダの鉄鎖を断ち切って独立すべく、
    350年間に亘り幾度か屍山血河の闘争を試みたが

    オランダの狡知なスパイ網と強靱な武力と苛酷な法律によって

    圧倒され壊滅されてしまった。
    それを日本軍が到来するや、

    たちまちにしてオランダの鉄鎖を断ち切ってくれた。
    インドネシア人が歓喜雀躍し感謝感激したのは当然である」


    インドネシア アラムシャ 元第3副首相


    「アジアの希望は植民地体制の粉砕でした。
    大東亜戦争は私たちアジア人の戦争を日本が代表して敢行したものです」

    「大東亜戦争というものは本来なら私達インドネシア人が、
    独立の為に戦うべき戦争だったと思います。

    もしあの時、私達に軍事力があったなら、

    私達が植民地主義者と戦ったでしょう。
    大東亜戦争はそういう戦いだったんです」



    インドネシア モハメッド・ナチール元首相

    Unknown (Unknown)
    2010-08-16 05:50:13
    1945年8月17日、

    インドネシアの独立がスカルノとハッタによって宣言されました。



    独立宣言


    「我々インドネシア民族は、 ここにインドネシアの独立を宣言する。
    権力の移行、 その他に関する事項は適当、
    かつ迅速に処理される。

    ジャカルタ。05年8月17日。

    インドネシア人民の名において。スカルノ、ハッタ」


    Proklamasi


    「Kami bangsa Indonesia dengan ini menjatakan kemerdekaan Indonesia. Hal-hal jang mengenai pemindahan kekoeasaan d.l.l., diselenggarakan dengan tjara seksama dan dalam tempo jang sesingkat-singkatnja.

    Djakarta, hari 17 boelan 8 tahoen 05
    Atas nama bangsa Indonesia.
    Soekarno/Hatta」


    05年とは、皇紀2605年の事です。


    Unknown (Unknown)
    2010-08-16 05:53:51
    「日本はアジアの光である」 インドネシア、アリ・ムルトポ准将

    今から十五年前ほどの前、

    アジア各国の軍部代表がマニラに集まった時のことだ。
    例によってフィリピンと韓国の代表が、

    延々と戦争当時の日本軍と日本民族と

    現在の日本企業を罵倒する演説を打った。


    列席のアジアの親日家たちは

    「韓国代表の演説は痛烈無残で聞くに堪えなかった。
    だが、列席の日本代表(自衛官)は一言も発しなかった。」と悔しがった。
    そこで、インドネシアのアリ・ムルトポ准将は韓国の軍人に向かって

    次のように日本を擁護した。(准将はアセアン結成の中心人物)

    日本はアジアの光である。

    大東亜戦争は欧米人にアジア人の勇敢さを示したもので、
    チンギス・ハーンとともにアジア人の誇りである。

    ここで、インドネシアの日本民族の価値についての見方を申し上げる。
    今、忽然として日本民族がこの地球上から消えたら、

    アジアとアフリカは非常に困る。
    その時に韓国が一番困ると思う。韓国は工業大国日本と競争したから、

    立派な工業国になれたのである。

    もし、日本がシンガポールの地点にあったら、

    インドネシア人は少なくとも百万人が日本に住み、

    日本人と同等の教育を受けるから、その人間関係から日本の技術、

    市場、金融、スタッフ等活用することができる。
    だから企業の成功は容易である。
    つまり、日本の近いところに位置していることは、幸運なのだ。

    経済的支援を連続的に受けていると言ってもよいくらいだ。

    インドネシアが日本に近ければ、今のような貧弱なインドネシアではない。

    つまり、我々インドネシア人は

    「日本はなにもしてくれなくてもよい」と考えている。
    日本は欧米と肩を並べて進歩しているだけで十分、

    アジア・アフリカにつくしている、と考えている。
    だから、我々アジア人は外交面に弱い日本を支援したいと思っている。
    日本から援助をもらうだけで応援しないのでは運命共同体とは言えないし、

    対等のパートナーとも言えないのではないか。
    Unknown (Unknown)
    2010-08-16 05:56:25
    世界一の親日国 インドネシア

    1942年、

    第二次世界大戦初頭に日本軍がオランダ領であったインドネシアに侵攻、

    オランダを駆逐した際、民衆は日本こそが「救世主」だと熱狂しました。

    日本は、1945年の9月にインドネシアの独立承認を約束していました。

    しかし、8月15日、日本は敗戦を迎えました。
    これにより、再びインドネシアを植民地支配する為、

    イギリス軍とオランダ軍が侵攻して来ました。



    1945年8月17日、インドネシアは日本がポツダム宣言を受諾した直後、

    独立を宣言しましたが、旧宗主国オランダはそれを認めず、

    インドネシア側は「ムルデカ」(インドネシア語で独立の意)を勝ち取る為、

    4年半にわたる対オランダ戦争に傾れ込みました。

    日本軍は、ポツダム宣言受諾以降、

    連合軍が来るまでの現地の治安維持と武器の管理を命じられていましたが、

    インドネシア独立の為、武器を流すなどして、

    インドネシア義勇軍を支援しました。

    さらに、2000人以上の日本軍将兵が、現地に残ってPETAと運命を共にし、

    4年にも及ぶ独立戦争を戦い抜きました。

    PETAは実戦の経験はありませんでした。

    日本軍将兵は、インドネシア人を指揮して常に最前線で戦ったので、

    死亡率も非常に高かったのです。

    2000人のうち約半数の1000人の日本兵が、

    インドネシア独立運動で亡くなりました。

    その日本兵は、インドネシア国立英霊墓地で祀られているのです。

    そして、インドネシア独立記念日には、

    インドネシアの男女二人と、日本兵の格好をした人が、

    インドネシア国旗を掲揚するのです。



    私達日本の先人は、インドネシア独立の為に、

    命をかけて戦ったのです。



    Unknown (Unknown)
    2010-08-16 06:00:39
    最も悪質な反日組織は、日教組だと感じます。

    日本の祖先は、アジア解放、

    有色人種解放の為に戦ったと、海外の教科書に書いてあっても、

    日教組は、史実を捏造して、

    日本人の祖先は悪人だったという洗脳教育を、

    子供達にしているのです。つまり、貴方達のお祖父さん等は、犯罪者であると。

    このような教育をされては、日本人は誇りを持てません。

    社会の秩序の悪化は、日教組教育によるものが原因の一つだと思います。



    台湾やインドネシアの親日感情は、現在の日本人へのものではなく、

    アジア歩解放した私達の祖先に対するものなのです。
    インドネシアの独立記念日では、インドネシア人の男女2人に、

    日本兵の格好をした3人で国旗を掲揚します。

    誇りある日本になる為には、

    正しい歴史、真実の歴史を教育し、報道する事です。



    Unknown (Unknown)
    2010-08-16 06:02:08
    インドネシア 「アリフィン・ベイ政治学博士」

    「 日本に占領された国々にとって、第二次世界大戦とは、

    ある面では日本の軍事的南進という形をとり、

    他面では近代化した日本の精神的、

    技術的面との出会いであった。


    日本が戦争に負けて日本の軍隊が引き上げた後、

    アジアに残っていたのは外ならぬ日本の精神的、

    技術的遺産であった。

    この遺産が第二次大戦後に新しく起こった、

    東南アジアの民族独立運動にとって、

    どれだけ多くの貢献をしたかを認めなければならない。


    日本が敗戦国になったとはいえ、その精神的遺産は、

    アジア諸国に高く評価されているのである。


    その一つに、東南アジアの教育に与えた影響があげられる。

    (日本は)目標達成の為に、

    どれほど必死にやらなければならないかという事を、

    我々に教えたのであった。この必死の訓練が、

    後のインドネシア独立戦争の時に役立ったのである」

    Unknown (Unknown)
    2010-08-16 06:11:32
    ハーグ条約

    907年6月、アメリカのルーズ・ベルト大統領、

    ジョン・ヘイアメリカ合衆国国務長官が提唱し、

    この会議で戦争に関する多くの重要な条約が調印されました。

    開戦に関する条約(ハーグ第3条約)
    陸戦法規慣例条約(ハーグ第4条約)付属陸戦規約
    陸戦中立条約(ハーグ第5条約)
    開戦の際における敵の商船取扱に関する条約(ハーグ第6条約)
    商船を軍艦に変更することに関する条約(ハーグ第7条約)
    自動触発水雷禁止条約(ハーグ第8条約)
    海軍砲撃条約(ハーグ第9条約)
    海戦における捕獲権行使の制限に関する条約(ハーグ第11条約)
    海戦中立条約(ハーグ第13条約)


    1922年、1923年のハーグの空戦法規では、

    攻撃は軍事目標のみとし、市民への爆撃は禁止されています。

    つまり、大東亜戦争において、

    アメリカ軍による日本全国への空襲、

    原爆投下による民間人大虐殺は、

    明らかなハーグ条約違反なのです。
    Unknown (Unknown)
    2010-08-16 06:13:00
    国際法

    東京裁判とは、戦勝国が敗戦国を一方的に裁くという出鱈目な裁判です。

    しかし、戦後米国GHQによるWGIPの洗脳の成果により

    日本は悪だったように未だに思っている日本人がいます。


    戦後、敵の大将のマッカーサーが米国上院議会において

    「日本は侵略戦争などしていない、自存自衛の為に戦争した」

    と証言していること等を知らない人達でしょう。


    戦後裁判において、戦勝国は裁かれていません。

    戦勝国は国際法違反をしていないのか?

    真に悪と言われるべきはどちらなのか?

    国際法に基づいて検証してみましょう。


    国際法では、国家は戦争遂行に際して

    『交戦法規』(戦争法規、国際人道法とも呼ばれるものもある)を

    導守しなければならない。


    『交戦法規』の最も代表的なものとして

    (1)一般住民(市民、民間人)ないし非戦闘員を攻撃、

    殺害してはならないとありのます。


    それでは、戦勝国のうち中国はどうでしょう?


    日中戦争拡大の原因となった通州事件は明らかに国際法違反です。

    当時日本は戦線不拡大を表明し、中国国民党と停戦協定を結んでいました。

    しかし中国は協定を違反し、

    通州に住む日本人居留民二百名以上を残虐な殺したかで虐殺したのです。


    米国も周知の通り日本国内において無差別に空襲し、

    日本の民間人を大量虐殺しています。


    中国や米国は、明らかに国際法の(1)に違反している事が解ります。


    (2)軍事目標とされるもの以外の民間物や非防守都市を攻撃、

    破壊してはならない。

    これについては前記したように米国は我が国に対して

    無差別な空襲をしていることや空襲による証拠も数多くあるので、

    国際法違反だと証明できております。


    (3)不必要な苦痛を与える残虐な兵器を使用してはならない。

    これについては、米国は我が国が降伏を訴えたにも関わらずそれを無視し、

    広島と長崎に原爆を投下したこと等で国際法違反ということが解ります。


    (4)捕虜を虐待してはならず、原則的に食物、衣料、寝所につき

    自国将兵と対等な扱いをしなければならない。

    これについても日本人捕虜が戦勝国により対等な扱いを受けず、

    虐待されていた事は証明されています。


    ソ連については、日ソ中立条約を破り参戦し、

    終戦の8月15日を過ぎてから北方領土等に侵攻した事実や

    満州等で日本人を捕虜とし、シベリアに強制連行し日本人捕虜に

    過酷な労働をさせ多くの日本人捕虜を死に至らしめた事実からも明らかに

    国際法に違反しているという事実があります。


    戦後米国により日本と別の国となった朝鮮、韓国人が

    「我々は戦勝国民である」

    (後にマッカーサーによりお前達は戦勝国民にあらず。

    第三国人であるとされた)等と言い日本人を虐殺し、

    レイプ等の犯罪をしました。このように戦勝国達は数々の犯罪、

    国際法を違反している事が史実であります。


    私達日本人が国際法を知り、真実の歴史を知ることが必要だと思います。



    事実はしっかりと記録されてるよ (Unknown)
    2010-08-16 14:31:42
    鳥飼行博研究室Torikai Lab Network
    大元帥昭和天皇による終戦の聖断:Surrender of Japan 2006
    http://www.geocities.jp/torikai007/war/seidan.html

    >1945年9月3日(米国2日)の日本降伏調印式でのマッカーサー元帥の演説は,内容を吟味しても,日本の戦争責任,戦後処理,兵士の復員,政治体制,国体,占領政策の具体像は述べられていない。にもかかわらず,多くの日本政府首脳陣や軍高官に感銘を与えたようだが,これはひとつには,降伏調印式の演出と日本代表段への丁寧な応対にあった。そして,降伏調印式でのマッカーサー元帥の演説には,敵国日本とその軍隊への侮蔑的態度,政府首脳・大元帥昭和天皇への非難が無かったが,このことが,日本政府首脳陣や軍高官に,戦後日本の再建の期待を抱かせるものだったのである。

    6.第二次大戦中,頻繁に連合国首脳会議が開催され,米英ソ仏中の対ドイツ・日本戦略が話し合われた。会談は,戦略重点の対立もあったが,無条件降伏という基本方針を貫いた。また,ドイツと日本の戦後占領統治についても議論されたが,欧州に比してアジアの戦後計画には,対日戦を担ってきた米国の影響力が強く,日本の戦後は米国に委託された形になった。

    第二次大戦中の30回の連合国首脳会談に,チャーチル14回,ルーズベルト12回,スターリン 5回の出席で,軍人,外相の会談も多い。会談は,欧州戦と戦後の欧州・ドイツの取り扱いに関しての多く,枢軸国への無条件降伏の要求のように枢軸国を対象とした内容も,欧州優先の思想から言えば,ドイツを念頭においていたといえる。

    大戦中の連合国首脳会議20回のうち,中国代表が率先して参加したのは,国連関連を除いて,1943年のカイロ会談1回だけで,日本と対日戦争が明示的に取り上げられた会談も5回に過ぎない。これは,対日戦争とアジアの問題については,米国主導で解決することが連合国の方針であったことを反映していると思われる。

    連合国首脳会談で,日本の戦後処理が明示されていない以上,戦後日本の戦争責任や政治体制は,米国の意向を具体化する占領軍総司令官マッカーサー元帥にかかっていた。日本の指導者,特に宮中グループは,マッカーサー元帥の権威の大きさを熟知して,それに積極的に協力することによって,戦後日本の再建,国体護持に尽力したようだ。つまり,敗戦後の日本は,終戦の聖断前後から,親米(米国追随)外交を展開することを決めていたといえる。

    7.アジア太平洋戦争の戦争責任追及の場として,東京裁判(極東国際軍事裁判)で,A級戦犯だけが断罪され,国体が護持された。1951年サンフランシスコ講和条約では,占領国日本は東京裁判の判決を受容する(強要される)ことで,国体を護持しながら,賠償金をかけられることなく国際社会への復帰を認められ,独立国として再出発した。東京裁判の判決やあり方については,疑義があるが,A級戦犯刑死者は戦後,靖国神社へ合祀された。


    終戦とともに,鈴木貫太郎内閣(1945年4月7日~8月17日)は総辞職したが,これは敗戦の責任を取ったということであろう。後を継いだ東久邇宮内閣(1945年8月17日~10月9日)は,初の皇族内閣である。それまでは戦争責任が皇族に及ぶのを避けていたが,終戦の成果は,聖断によってもたらされたのだとすれば,皇族内閣によって戦争終結を実現したいとの希望があったのであろう。終戦の二週間後,1945年8月28日,東久邇宮首相は閣議後の会見で「全国民総懺悔をすることが、わが国再建の第一歩であり、わが国内団結の第一歩であると信じる」と語った。これは,敗戦の責任は,国民にあるとも受け取れる見解であり,戦争指導者の戦争責任をあいまいにするものであった。一億総特攻から一億総懺悔へ,「君主は豹変す」である。下村定陸軍大臣も「(敗戦ではなく)終戦と称してほしい」と発言したという。 (→ザ20世紀 昭和20年 終戦(敗戦)参照)

    昭和天皇弟宮高松宮宣仁親王,元首相近衛文麿,内大臣木戸幸一,元内大臣牧野伸顕,内閣総理大臣秘書官・高松宮御用掛細川護貞,内閣副書記官長高木惣吉,宮内省松平康昌,外務省加瀬俊一,宮内庁御用掛寺崎英成など日本の宮中グループは,米占領軍上層部と連携して,日本の復興,国体護持,大元帥昭和天皇の訴追排除に尽力した。

    戦後、近衛文麿は,東久邇宮稔彦王内閣で国務大臣を務めた。1945年10月4日にマッカーサーを訪ねた。そこでは,開戦においては天皇と宮中グループは,陸軍に引きずられてやむをえず開戦に同意させられたと説き,皇室と財閥を除けば日本に共産主義革命が起こると述べた。サザーランド参謀長,アチソン顧問は,近衛を信頼して大日本帝国憲法の改正を託たという。

    しかし,1945年11月には,近衛の戦争責任が追及されるようになり,『世界文化』に掲載された評論では,日中戦争・太平洋戦争の開戦の責任を軍上層部に転嫁し、自分が軍の独走を阻止できなかったことは遺憾であると釈明したという。1945年12月6日にGHQから巣鴨拘置所出頭命令を受けたため,昭和天皇に戦争責任が及ばないようにと,荻外荘で青酸カリを飲み自殺。(→wikipedia近衛文麿引用)

    戦後1945年12月18日の近衛文麿自殺については,メモの形で遺された「心境」が,息子通隆によって,午前三時前次のように発表された。(終戦前後2年間の新聞切り抜き帳(19)近衛公の自殺20.12.18引用)
     「僕は支那事変以来多くの政治上の過誤を犯した。これに対して深く責任を感じてゐるが所謂戦争犯罪人として米国の法廷において罰を受けることは耐へ難いことである。殊に僕は支那事変に責任を感ずればこその事変解決を最大の使命とした。そしてこの解決の唯一の途は米国との誤解にありとの結論に達し日米交渉に全力を注いだのである。その米国から今犯罪人として指名を受けることはまことに残念に思ふ。しかし僕の志は知る人ぞ知る。僕は米国においてさへそこに多少の知己が存在することを確信する。」

     通隆と二人だけで午前一時頃から二時まで語り合った主な事柄は,次のごとく発表された。
    ・自分は日支事変の解決、日米交渉の成立に全力を尽くしたが力及ばず今の事態に立ち至ったことを遺憾とし上は陛下に対し奉り下は全国民に対し責任を痛感してゐた。
    ・国体維持の問題については自分が全力を尽くして護って来たところのものである。これは国民、別して近衛家としては当然さうあらねばならないと強く主張した。(引用終わり)

    >東條英機宣誓供述書 (東京裁判をぶっとばせ引用)には,アジア太平洋戦争が自衛戦争・植民地解放戦争であったこと,天皇に開戦の責任は無いことが述べられている。
    「----当年国家の運命を商量較計するのが責任を負荷した我々としては、国家自衛のために起つたという事がただ一つ残された途でありました。----「東亜開放」とは東亜の植民地ないし半植民地の状態にある各民族が他の民族国家と同様世界において対等の自由を獲んとする永年にわたる熱烈なる希望を充足し、以て東亜の安定を阻害しつつある不自然の状態を除かんとするものであります。
     第一の問題は---私は最後までこの戦争は自衛戦であり、現時承認せられたる国際法には違反せぬ戦争なりと主張します。

     第二の問題、即ち敗戦の責任については当時の総理大臣たりし私の責任であります。この意味における責任は私はこれを受諾するのみならず真心より進んでこれを負荷せんことを希望するものであります。

    (1941年)11月5日決定の帝国国策遂行要綱に基く対米交渉遂に成立するに至らず帝国は米英国に対し開戦す」以上の手続により決定したる国策については、内閣および統帥部の輔弼および輔翼の責任者においてその全責任を負うべきものでありまして、天皇陛下に御責任はありませぬ。」(東條英機宣誓供述書 ;東京裁判 東條英機 後編引用))

    東京裁判における対米関係としては,大元帥昭和天皇の戦争責任を認めないという点が最も重要である。A級戦犯は,大元帥昭和天皇の免責のために犠牲的精神を発揮し(させられ),全ての責任を引き受けた(引き受けさせられた)。

    その意味で,東京裁判では,日本の再建と国体護持を願う宮中グループと米国における対ソ・反共産主義グループの協力が指摘できる。米英政府高官と米軍上層部は,国体を護持することが,米国の支配下で,日本の政治的安定と産業界・経済の復興に繋がると判断した。東京裁判を無効であると強弁する人たちは,大元帥昭和天皇を超A級戦争犯罪人として訴追し,処刑するつもりがあるのか。

    日本のアジア太平洋戦争後の国際社会復帰は,1951年のサンフランシスコ講和会議と講和条約による。その中で,東京裁判(極東国際軍事裁判)の結果を完全に受諾したことを表明した。国体が護持された以上,日本政府は大満足であった。「東京裁判は無効だ」として,大元帥の戦争犯罪を問題にする政治家はいなかった。

    写真(右):大元帥昭和天皇;満州事変,日中戦争,太平洋戦争と昭和期の日本陸海軍の総司令官,統帥権の保持者として,戦争指導を行った。幼いときから一流の帝大教授,将軍に直接学び,帝王学を身につけた。

    1889年2月11日公布の大日本帝国憲法は,「皇朕レ謹ミ畏ミ 皇祖 皇宗ノ神霊ニ誥ケ白サク皇朕レ天壌無窮ノ宏謨ニ循ヒ惟神ノ宝祚ヲ継承シ旧図ヲ保持シテ敢テ失墜スルコト無シ」という告文で始まり,「朕国家ノ隆昌ト臣民ノ慶福トヲ以テ中心ノ欣栄トシ朕カ祖宗ニ承クルノ大権ニ依リ現在 及将来ノ臣民ニ対シ此ノ不磨ノ大典ヲ宣布ス」「国家統治ノ大権ハ朕カ之ヲ祖宗ニ承ケテ之ヲ子孫ニ伝フル所ナリ」との憲法発布勅語が続いている。

    天孫降臨の神勅を引き継いだ天皇は,神格化され,現人神(あらひとがみ)として統治を宣言した。この重要なお言葉こそが,日本の基盤「国体」を表現している。条文の解釈よりも,このお言葉こそ,天皇中心の国体を表現している。

    第一条で「大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス 」とし,第四条で「天皇ハ国ノ元首ニシテ統治権ヲ総攬シ此ノ憲法ノ条規ニ依リ之ヲ行フ」とした。大臣,陸軍参謀総、海軍軍令部長らは,天皇の統治権・統帥権を補弼するにすぎない。天皇は,立法・司法・行政の三権を総攬し、大元帥として陸海軍の統帥権を持つ絶対的存在だった。

    軍事について,天皇の権威は絶対である。第十一条「天皇ハ陸海軍ヲ統帥ス」,第十二条「天皇ハ陸海空軍ノ編制及常備兵額ヲ定ム」,第十三条「天皇ハ戦ヲ宣シ和ヲ講シ及諸般ノ条約ヲ締結ス」として,国軍の統帥権,軍の編成権,軍事予算の決定権を保持し,宣戦布告と講和の全権を握っていた。立憲君主制のような議会主義,国民主権,軍のシビリアンコントロールは,全く想定されていない。明治から敗戦までの天皇制は,絶対君主制である。天皇が与えた欽定明治憲法が国体・天皇の存在の根拠であるはずがない。皇祖神話が天皇制の基盤であり、誰からも掣肘されることのない天皇は、絶対権力を持つ(神聖にして侵すべからず)。当時の天皇制は,立憲君主制ではなく,「啓蒙絶対専制君主制」である。

    しかし,第三条で,「天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス」として,天皇無答責を定めた。国内法によれば天皇に戦争責任は及ばないことになる。>

    <その当時の経緯の事実の証拠はしっかり残っている

    日本は敗戦国なのは事実だけどその真実はその当時の事実経緯をしっかり確認して然るべきだろう



    Unknown (Unknown)
    2010-08-16 14:53:33
    戦後の安全というのは、昭和天皇の身の安全安泰のこと。
    天皇の免責と引き換えに広島長崎への原爆実験を許容する密約を米側とした。
    原爆はまだ完成していなかったので、完成まで戦争を引き伸ばす必要があったのだろう。
    お盆に降伏する、8月までは降伏しないことはアメリカ側と早くから密約していた。

    昭和天皇がアジアからかき集めた金銀財宝は、現在ミンダナオ島に隠されていると言われる。日米の共同管理のもとに置かれているらしいが、昭和天皇としては命乞いと共に隠し財産の保全も条件として原爆人体実験を受け入れたのだろう。

    ミンダナオ島の隠し財産は、最近のイタリアでの米国債事件とも関係があると言われている。その一部は恐らく、自民党設立にも使われたのだろう。

    面倒ではございますがッ、何卒1回ッッッ、
    それ以上やっても同一IPではじかれるのでッッッッッ、
    「1回」ポッキリッ!!!!!!!!!!!!(13個で世界新)
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